2010年11月20日土曜日

毎日が楽しいぜ!

ちょっと楽しいことがありました。twitterでの話の流れなので、遡るとしばらく前に予兆があったのかもしれませんが、おそらく、コトの発端はこのつぶやきです。
疲れたとか、辛いとか、苦しいとか。そゆのは毎日聞くけど「いま、ほんっと毎日が楽しいぜ!」って、言ってる人にはなかなか会わない。どうなの、これ。( @tokyoicchi 11月17日 10:35AM)
およそ、2分後、@hajimebs さんが、つぎのように返します。
@tokyoicchi 毎日楽しくて楽しくて仕方ない。そのうちにバランス取られるために落雷に遭うんじゃないかと思う。( @hajimebs 11月17日 10:37AM)
ぼくは、さらに3分ほど経って、宛て先もなくつぶやきました。
毎日が楽しいぜ!( @who_me 11月17日 10:40AM)
そんな他愛のないやりとりが、ちょっとばかり盛り上がって「毎日が楽しいぜ!」と思うだけで、何だかとても前向きになれる気になってきました。
ほどなく、#mainichigatanoshiize というハッシュタグが生まれ、実際に「今度、毎日が楽しくて楽しくてしょうがない皆で集まって、どう楽しいか絵に描いて報告しあうっていうめちゃめちゃポジティブな飲み会しましょう。」というつぶやきも…。(途中の経過は省略しますが)けっきょく、墨東大学の講義・実習として「毎日が楽しいぜ!」を開講する話へと展開しました。こうして、わずか数時間で、あたらしい科目が誕生したのでした。2010年12月3日(金)の夕刻、墨東大学・京島校舎にて開講です。(詳細・参加表明はこちらから → http://twtvite.com/bokudai_101203

さて、楽しい…というのは、この科目の内容だけではありません。ちょっとしたきっかけで、つぶやきがスパークし、じゃあ会いましょう、ということになる。〈リアル〉な時間と場所を約束し、それがじぶんのカレンダーに書き加えられます。スピード感はもちろんのこと、素朴にワクワクする過程です。少人数ではあるものの、連鎖反応がコトを起こす(興す)場面に立ち会うことができました。

ご存じのとおり、墨東大学は〈リアル〉な仮想大学です。実際に顔を合わせるものの、まぁ何でもアリ?(言い過ぎかも)の大学です。それは、「毎日が楽しいぜ!」という科目が開講されるだけでも、わかるでしょう…。だから、「ごっこ遊び」として考えれば、このくらいのスピード感やノリは、むしろふつうなのかもしれません。
ただ、〈大学〉をモチーフにしていることで、いろいろなことを考えさせられます。つまり、墨東大学は、この大いなる遊びのなかで、大学の本質について再考する手がかりを提供してくれるように思えるのです。ホンモノの大学(本務校)では、言うまでもなく、講義やゼミにくわえて、会議(○○委員会、△△タスクフォースなどなど)も校務もたくさんあります。時間割やカリキュラムによって、学生と教員の振るまいは高度に組織化されています。学生の意見を取り入れながら、授業を改善しようという試みもあれば、面白くてためになる(なりそうな)講義もたくさんあります。多くの自由が保証されていますが、同時に、多くの決まり事があります。

今回の「毎日が楽しいぜ!」を生み出した過程をふり返ると、じつは、そこに大学の本質が見えるような気がします。つまり、まずは「…どうなの、これ。」という素朴な問いかけがある。それは、通勤電車のなかかもしれないし、ベッドの温もりのなかかもしれない。たんなるつぶやきに過ぎない。それでも、生活(=大げさに言えば生きること)と直結した「どうなの、これ。」だという点が重要です。そして、それに対して「…皆で集まって」というダイレクトな反応がある。さらに、連鎖が続きました。「楽しいぜ!」と叫び合っているだけでは関心しませんが、お互いにその「楽しいぜ!」を共有することをつうじて、そもそもの「どうなの、これ。」に対する答えが見えてくるように思います。個別の「楽しいぜ!」をみんなで眺めることによって、何かに気づくはずです。これって、〈学〉のはじまりなのではないかと思います。それは、現場に密着した〈学〉です。

そんなに気張らずに、とにかく「楽しいぜ!」を紹介し合えばいいのだと思います。でも、あの不思議な(そしてワクワクする)過程に立ち会ったので、いろいろと考えてしまいました。余計な約束事をそぎ落とした、何でもアリ?の墨東大学であるからこそ、感じることができたように思います。
墨東大学は、誰かの「どうなの、これ。」と向き合いながら成長します。毎日が、さらに楽しくなりました。

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